学生諸君へ 「勉強の仕方: 私の場合」 伊藤 明
(伊藤明研究室)
“どうすれば、勉強がわかるようになりますか?”こんな質問を、よく受けることがあります。“絶対”と呼べる方法が私も分かりませんが、自分
自身の数少ない経験(体験)から思うことをあげてみます。自分に合うやり方の参考にでもなれば、幸いです。
- 私を導いた言葉編
- 勉強は、楽しくない!
私の中学3年の担任の理科の先生から聞いた言葉。何となく、(勉強はしなければいけないもの。)あるいは、(勉強ができる人は、きっと楽しんでいるに違いない。)などと勝手に思い込んでいた頃にこの言葉を聞いて、頭の中のモヤが少し晴れた気がし衝撃を味わいました。(私自身が勉強を本当に楽しいと思えたのは、24歳のときです。それまで何となくわかっていたものが、すべてつながって実感として理解できたとき、楽しいなと思えました。それが、現在の自分の研究分野です。)
- だまされたと思って勉強しろ!
私の高校2年生の物理の先生が言っていた言葉。「ずーっと勉強していると、ある日突然物理ができるようになるから、だまされたと思って勉強しろ!」高倉健に似た口の悪い先生の乱暴な言い方に、(そんなもんなのかしら!)と思いつつ受験勉強をしていると、夏休み前まで3割ぐらいしかできていなかったテストが、突然8割以上できるようになっていました。
これに似た話は、外国で暮らしている人が昨日まで何を言っているかわからなかったテレビのニュースが、ある朝突然わかるようになる。(私は、そんな幸せな経験をしたことがありません。) あるいは、昨日までアブーしか言えなかった子どもが、突然3つも4つも単語を話し出す。などがあると思います。(我が家の二人の子どもを見ているとそう思いました。)
- 勉強が仕事!
私の父親が言っていた言葉。自宅で仕事を細々とやっている両親の姿を見て育った小学生時代から、いつも言われていた言葉。疑う余地などありませんでした。親は子どものために仕事をする。子どもは、一生懸命勉強し、自分の子供たちへ同じ事をしてあげる。いわば‘順送り’にこのサイクルが送られるというのが、両親の口癖でした。田んぼや畑に囲まれた田舎のライフスタイルそのものです。親に恩を返せなどとは、一度も言いませんでした。ただ、子どもとしての仕事=勉強をしろ!それが口癖でした。
- アルバイトはするな!
これも、頑固おやじの口癖。子どもは勉強が仕事ですから、アルバイトなどという副業をするとはもってのほかという考えでした。職業に就くまでは、親のスネをかじる、つまり、学費などなどを援助してもらうのは、何の遠慮もいらない。そんなことを遠慮して、たとえばアルバイトをして本業の勉強が少しでもおろそかになってはイカン!の言葉を信じて、私自身は、27歳まで学生をさせてもらいました。(ちなみに、我家は決して豊かな家計ではありませんでした。授業料免除や、奨学金のお世話で進学がその都度できていました。)
- 切符がないと電車には乗れない!
これは、大学の4年生から大学院の5年間、計6年間お世話になった先生の言葉です。学歴社会のひずみは確かにありますが、実力主義の社会で最も簡単で平等だと思われる‘ものさし’は、やはり学歴になると思います。例えば、企業の基礎研究所で、今まで誰も作り出したことがない新製品を研究したいとします。いくら自分がそう希望しても、会社の人事担当者が自分より学歴の高い、いわば“難しいところ”を卒業してきた人と自分を比べれば、失敗の少なそうな人、より学歴の高い方の人を社運を担う部署へ配置するでしょう。学歴が高いだけで、未来への確実な切符にはなりません。失敗すれば飛ばされるし、地道に努力していれば“栄転”の道もあるかも知れません。
もしも、経済的、家庭の事情などが許すならば、自分の希望する職種へ入ることができるより有効範囲の広い切符を持つことは、損ではないでしょう。切符を手にした後で、それを使わなければいいだけですから。
そう自分も思い、結局27歳まで学生として勉強させてもらえました。いろいろな方々のおかげだと思っています。
- やル気、その気、本気!
大学院生のときの特別講義で、半導体分野では世界的な権威の先生から聞いた言葉。学生が、やる気を出せば、種から芽が出る。その後、その気になり本気にさえなれば、何事もうまくできる。
外国のことわざに、最も優秀な教師は、学生をその気にさせる。というのがあるそうです。先生が、学生にその気を出させさえすれば、後はほかっておいても学生は自分で勉強をし、きっと先生を超えることができる。先生を超えない人だけが世の中へ放出されていれば、未来は余り明るくありません。
そのやる気を出させるには、土壌や栄養分や水分などに相当する、数学などの基礎的な勉強、いわば勉強の仕方が分かっていないと何もできません。小学生で九九を習ったように、微分積分を道具として使いこなせるかどうかが、その後の芽の育ち具合に大きく影響すると思います。
- クマンバチは飛ぶ!
PHPという雑誌に以前、「蜂の一種であるクマンバチは、現代の大型計算機を用いた理論計算では、あの羽あの体重あの筋肉では、飛べない!!でも、彼らは飛んでいる。もし彼らに、お前は飛べないはずなんだよと言ったらどうなるだろう。」という内容のコラムが載っていました。最近の計算機と流体力学などの理論の結果を知りませんが、昔から彼らは飛んでいます。
自分が何になれるのか?どこを目指しているのか?20才前後の数年は不安と焦りと、何ともいえぬ気持ちに襲われることが、たまにあると思います。(私もそうでした。)
「自分は飛べる!!」そう信じていれば、希望がかなうかもしれない。少なくともそう思わなければ、希望はかなわず、絶望の闇の中へ落ちていってしまう。「クマンバチの様に」、そう思った20歳の頃でした。
- 私の勉強方法編
- テスト前のたくさんの時間より、日頃の少しの時間の予習と復習。
(予習)
授業の前、できれば自宅で、さもなければ授業と授業の間の休み時間にでも、その日の講義で進むと思われる範囲を読むだけでもしておく。そうすると、初めて聞くよりも、イメージが出来上がっているので、ノートを取るのも楽になり、講義を聴くのに神経が使える。ノートをとるのが間に合わないと思える科目こそ、予習が絶対必要。
前回の講義の教科書の範囲をたとえ一分でも眺めるだけでも、今回とのつながりが見えるので、復習であるけれども、実は予習的役割もそこにある。
(復習)
中学生の時に読んだ、多湖輝氏の『ホイホイ記憶術』の中に、次のような内容があったと記憶しています。(20年ぶりに家の本棚や、書店で探しても残念ながら本が見つかりませんでした。)
授業を聞いたその日、自宅に帰ってからその日の教科書とノートを、たとえ10分間程度でも見直すと、脳が記憶を忘れる速さが、かなり遅くなる、つまり忘れ難くなる!!
テスト前に10時間勉強するより、自宅で30分勉強し、テスト前1、2週間前にもう一度復習し、テスト前日は少し見直し、いつもと同じ時間にしっかり寝る。これが、わたしの昔からの勉強のスタイルです。
- 宿題は、必ず自分でやる。
わかった気がしたのと、使えることとは全く別。テストでそのことをイヤというほど思い知らされた後、経験から学ぶ大原則の一つ。問題が解けて、初めてわかったと言える。
教科書以外に、自分に合った本、できれば例題がいっぱいのっている演習的な本を買う。
自分の人生が変わるかもしれない学校での勉強。今将来必要ないと思っても、意外な人生の展開によって、必要になることが往々にしてある。(実感しています。) 将来直接使わなくても、間接的には必ず恩恵を受けます。
一冊4、000円の本で人生が変わるなら、そんな安いことはありません。そう言えば、
本は、ケチるな!!
これも、父親の口癖でした。遊ぶ金はくれなかったけど、本を買うといえば、すぐにお金をくれました。10冊買っても、たった4万円。絶対に安い。但し、買ったら必ず使うこと。使いやすい本を選ぶこと。(印刷の仕方、余白、文体などなど。)どんな本がいいかわからなければ、講義を担当している先生に直接、聞く。そういう質問をされて、面倒だと思う先生は、絶対にいないと思います。むしろ、うれしくなると思います。
- 必要なプライド
レポートがでたら、必ず全て自分でやろうとすること!!
三日間ぐらい考えてできない問題が、4日目の電車の中で突然解き方がわかったりすると、何ともいえない満足感があります。(直ぐに解けないという実力の無さに目をつむれば。)わかったときの充実感は、次の問題を解くときのエネルギー源になりました。
また、オマケ的要素として、翌日学校で周りの友達がわからないと困っていて、“教えて?”と言われ説明するときの嬉しさ(?)は、何ともいえませんでした。
全部自分でわかるまで考える、そんなプライドがあり続ければ、きっと幸せです。私の場合、4日考えて解けない問題では、賢い友達に聞いてました。さびしいなーと思いつつ。納得すると、なんで自分はわかからなかったんだろう。とぶつぶついいながら、次回のレポートでまたもだえ苦しんでいました。
振り返ると、そういう意味でのプライドを持っていた友達は、学校でも生き生きとしていました。
追記:
時折、「勉強の仕方」に関する感想を頂きます。ほとんどは国内の学生さんや社会人の方々からです。先日、海外の日本語を母国語としない方らから感想を頂き感動しました。ペルーのリマ市にあるラウニオン学校のEspinoza
Elodia先生は、以前日本に留学経験がある方でペルーで日本語を教えていらっしゃる方で、私のウェブページをスペイン語に訳してペルーの学生さんに紹介したいということでした。スペイン語に訳された内容をこのウェブページにも紹介することをご許可いただきましたので、スペイン語版も公開させて頂きます。 スペイン語版 いつか、このスペイン語版を読んで感想を頂く日が来るのではと考えています。(スペイン語は以前少し勉強しかけましたが、とても難しく感じ途中で断念してしまいました。)
(2008/08/06)